スライミングの放言御免

エロの伝道師ザビエールデース

エロ漫画と人生

 エロ漫画は、人生の探求である。

 

 

 性欲は動物としての本能であるが、その欲望を独りで解消できる種は少ない。つまり、エロ漫画を読みオナニーするという行為は、人間に許された高尚極まる行いなのだと言えよう。

 

 

 ではそのオナニーをより善いものにするためにはどうすればよいのか? それはひとえにオカズのクオリティ向上だ。 自分に合ったオカズを発見することができれば、オナニーライフはそれだけで幸多いものになる。

  "善くありたい"と願うことは、オナニー以外の全てにおいても重要なことである。 ただ漫然と行動しているだけでは何も進歩はない。"願うこと"が人を新たな道へ進ませるのである。

 

 

「独り功徳を行えば、成ること能わざるが故に、要らず願力を須(ま)つ。譬えば、牛の力は、能く車を挽くと雖も、要らず御者を須って、能く至る所有るが如し。世界を浄むる願も、亦復た是の如く、福徳は牛の如く、願は御者の如し。」(『大智度論 大智度初品中佛土願釋論第十三(卷第七)』より)

 

 

 ここで龍樹が説くのは、功徳(行動)には願が必要であるという事であり、「○○になりたい!」と思うこと自体が夢を叶えることに他ならないということである。

 

 

 また、アリストテレスは「すべての人間は生まれながらにして知らんことを欲す」と説いた。  知識は財産である。 知らないことは出来ないし、知らないことは好きにも嫌いにもなれない。 このブログで「母親モノ」を啓蒙しているのは、読者に「母親モノ」という宇宙を知ってほしいからだ。原初のエロスである「母性愛」の深淵を覗いてほしい…… ただその一心である。

 

 

このブログが、読者諸兄の善きオナニーライフの一助となることを願う。